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納豆文学史「納豆と文学、ときどきこぼれ話」

その12 一茶が「納豆」に託した苦労

小林一茶(1763-1827〉は、江戸時代後期に活躍した俳諧師です。信濃国柏原村(長野県信濃町)の農家に父弥五兵衛母くにの長男として生まれましたが、3歳で母と死別し、8歳で父が再婚、やがて弟の誕生により継母との仲が悪化していきます。そのため15歳で江戸に奉公に出されて苦労を重ねたようです。20歳ごろから江戸で俳諧を学んだらしく、しだいに俳諧師として活躍していきます。39歳で父が亡くなり、その死後は遺産争いが続きます。10年余を経てなってようやく和解し、52歳で結婚。しかし生まれた子が次々と亡くなるなど不幸が続きます。また妻にまで死なれ、再婚も不調のまま、大火で家までも失い、焼け残った土蔵の中で死を迎えます。その人生はまさに苦労の日々でした。その波乱の人生の中から詠み出された句は、当時の季節感にばかりとらわれる趣味化した俳諧と異なり、人間生活への関心を向けたものとして高い評価を受けるようになります。
「生涯二万句」と言われる作品のなかには納豆を詠んだ句がいくつか見られます。

朝々に半人前の納豆哉

この句は不遇の幼少期や奉公時代に詠んだ句ではありませんが、どこかしらそうした雰囲気を感じさせる句です。毎朝ごとに自分には納豆さえも半人前しか与えられないというさびしさを詠んでいるのではないでしょうか。

納豆の糸引張つて遊びけり

この句も解釈によっては、幼い子どものほほえましい光景ですが、家族との団らんで楽しいはずの食卓にその楽しさがなく、ただ納豆の糸を長く引っ張って遊ぶしかないという意味にもとれそうです。一茶の生涯を思うとき、むしろさびしい食卓の風景を見る方がよいのかもしれません。やはり炊きたてのご飯と食べる納豆が身も心も温められる一茶の心の慰めとなり、不遇な彼の人生にあって数少ない心の糧であったのかもしれません。

一茶が「納豆」に託した苦労

百両の松をけなして納豆汁

こちらの句はおとなになった一茶の反骨精神が見られる句でしょうか。金持ちに対する反発と貧しい生活ながら心身が温まる納豆汁の対照がうまくえがかれている句ではないでしょうか。「すぶぬれの大名を見る炬燵かな」の句とも通じる痛快さが伝わります。

有明や納豆腹を都迄

この句は蕪村の「朝霜や室の揚屋の納豆汁」と風情が似ている感じがします。夜明けに女と別れた男がせめて納豆汁の腹持ちを都まで持たせたいという意味にもとれます。「有明」は夜通し睦みあった男女の別れの時でもあるからです。

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