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納豆文学史「納豆と文学、ときどきこぼれ話」

その1 武蔵野のわびしさを思わせる納豆売りの声−国木田独歩『武蔵野』

国木田独歩(1871-1903)の代表作である『武蔵野』(明治31年)は、彼が住んだ渋谷村(現在の渋谷区)に残る武蔵野の雰囲気を独自の筆致で書いた名作です。渋谷と言えば、今や日本を代表する繁華街ですが、その当時はまだまだ東京では郊外であったわけです。そんな郊外の雰囲気を独歩は次のように描いています。

日が暮れるとすぐ寝てしまう家(うち)があるかと思うと夜(よ)の二時ごろまで店の障子に火影(ほかげ)を映している家がある。理髪所(とこや)の裏が百姓家(ひゃくしょうや)で、牛のうなる声が往来まで聞こえる、酒屋の隣家(となり)が納豆売の老爺の住家で、毎朝早く納豆納豆と嗄声(しわがれごえ)で呼んで都のほうへ向かって出かける。夏の短夜が間もなく明けると、もう荷車が通りはじめる。ごろごろがたがた絶え間がない。九時十時となると、蝉が往来から見える高い梢で鳴きだす、だんだん暑くなる。砂(すな)埃(ぼこり)が馬の蹄(ひづめ)、車の轍(わだち)に煽(あお)られて虚空に舞い上がる。蝿の群が往来を横ぎって家から家、馬から馬へ飛んであるく。
それでも十二時のどんがかすかに聞こえて、どことなく都の空のかなたで汽笛の響がする。

武蔵野のわびしさを思わせる納豆売りの声

東京の郊外のつましい生活ぶりを音で表しているなかに、納豆売りの声も含まれています。「老爺」とありますので、年老いたおじいさんが朝早くから生活の糧を求めるために、おそらくは東京の都心まで歩いて納豆を売りに出かけていくというのでしょう。

そんな姿が、武蔵野の田園風景と独歩の弱者へのやさしいまなざしとあいまって、独特の世界を作りあげています。まさに「田園詩の一節」(北野昭彦『日本近代文学事典』)の中に、納豆売りの声も位置づけられているのです。

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