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納豆文学史「納豆と文学、ときどきこぼれ話」

その4 弱者へのまなざし−白柳秀湖「駅夫日記」

白柳秀湖(1884-1950)の『駅夫日記』(明治40年)は、初期の社会主義文学の代表作とされます。社会のなかで貧しさにたえながら生きていく人びとの姿を赤裸々に書くことで、資本主義社会の持つ矛盾や現実にするどくメスを入れようとした作品です。

ここでも主人公である18歳の藤岡という駅員が、貧しい子どもに身の上を尋ねると、母親が納豆売りをしてぎりぎりの生活を支えていたことを明かします。母親はその心の糸も切れたとき、わが子を置いて行方知れずになってしまったというのです。

……見れば根っから乞食の児でもないようであるのに、孤児ででもあるのか、何という哀れな姿だろう。
「おい、冷めたいだろう、そんなに濡れて、傘はないのか」
「傘なんかない、食物だってないんだもの」といまだ水々しい栗の渋皮をむくのに余念もない。「そうか、目黒から来たのか、家はどこだい父親(ちゃん)はいないのか」
「父親なんかもうとうに死んでしまったい。母親(おっかあ)だけはいたんだけれど、ついとうおれを置いてけぼりにしてどこかへ行ってしまったのさ、けどもおらアその方が気楽でいいや、だって母親がいようもんならそれこそ叱られ通しなんだもの」
「母親は何をしていたんだい」
「納豆売りさ、毎朝麻布の十番まで行って仕入れて来ちゃあ白金の方へ売りに行ったんだよ、けどももう家賃が払えなくなったもんだから、おればっかり置いてけぼりにしてどこかへ逃げ出してしまったのさ」
(「新小説」1907(明治40)年12月)

弱者へのまなざし

幼い子供を抱えていてもできる女性の仕事は、現代でも限られています。明治時代には、なおさら厳しかったのが実情でしょう。そうした中で、納豆売りは、社会のセーフティネットとしての役割もはたしていたと言えます。その向こうには、納豆を買う人たちにも、貧しさの中にあっても、毎朝納豆を買うことが、自分たちと同じような生活をしている人々へのささやかな支援になればという気持ちがあったからにちがいありません。

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