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納豆文学史「納豆と文学、ときどきこぼれ話」

その13 さびしさの中で聞いた納豆売りの声−林芙美子『放浪記』

林芙美子(1903-1951)の代表作である『放浪記』(昭和3年−昭和5年)は、映画や舞台でも知られている昭和を代表する名作のひとつです。とくに舞台は森光子の主演で2000回を超えるロングランを誇っていますので、小説を読まなくても、舞台でご覧の方も少なくないでしょう。

『放浪記』を実際に読むと、庶民派にふさわしく、やはり納豆が登場します。貧しさのなかで疲れ果てた「私」が物憂い朝を迎えたなかで、納豆売りのおばあさんからあわてて納豆を買うところは、叙情的な五月の朝に日常の「生活」をふとよみがえらせたシーンとも読みとれます。林芙美子は納豆を「生きる」力の象徴として見ているかのようにも思わされます。

(五月×日)
なまぐさい風が吹く
緑が萌え立つ
夜明のしらしらとした往来が
石油色に光っている
森閑とした五月の朝。

多くの夢が煙立つ
頭蓋骨が笑う
囚人も役人も 恋びとも
地獄の門へは同じ道づれ
みんな苛めあうがいい
責めあうがいい
自然が人間の生活をきめてくれるのよ
ねえ そうなんでしょう?

夢の中で、わけもわからぬひとに逢う。宿屋の寝床で白いシーツの上に、頭蓋骨の男が寝ている。私をみるなり手をひっぱる。私はちっとも怖わがらないで、そばへ行って横になった。私は、なまめかしくさえしている。
眼がさめてから厭な気持ちだった。
寝床の中で詩を書く。
納豆売りのおばさんが通る。あわてて納豆売りのおばさんを二階から呼びとめて、階下へ降りてゆくと、雨あがりのせいか、ぱあっと石油色に道が光っている。まだあまり起きている家もない。雀だけが忙わしそうに石油色の道におりて遊んでいる。何処からか、鳩も来ている。栗の花が激しく匂う。
納豆に辛子をそえて貰う。
私はこのごろ、もう自分の事だけしか考えない。家族のある、あたたかい家庭と云うものは、何万里もさきの事だ。

小説とも詩歌ともくくれない独特の文体で、芙美子は自分の感性を語りかけています。
風薫る5月のさわやかな風が吹く季節に、芙美子はものうさを感じています。そんななかでも彼女は納豆を買っています。そして、納豆を買いつつ、「あたたかい家庭」への憧れと、そこにたどりつくことの難しさも感じて、失望感も覚えていたのでしょう。

家族で囲む朝のにぎやかな食卓にのぼる納豆は、朝をさびしく一人で迎えた芙美子に家族のぬくもりを思い出させたのかも知れません。

さびしさの中で聞いた納豆売りの声−林芙美子『放浪記』

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