江戸時代後期の文化・文政時代より、納豆の食文化は通年化してきたといわれています。江戸時代中期から幕末まで、ほぼ毎年刊行されていた『誹風柳多留』(はいふうやなぎだる)においても、納豆に関わる川柳はいくつもありました。岡田甫『誹風柳多留全集・索引編』(1984年・三省堂)においても、以下のような川柳が紹介されています。
納豆のあとからばつたばたとくる
(納豆売りのあとから、朝の物売りたちがやってくる)
しまったり親父納豆買って居る
(朝帰りをした息子がすでに納豆を買っていた父親の姿に慌てている様子)
もちろん、納豆の食文化は現代でも定着しています。日本人の食生活に最も親しみのある食材のひとつであり、納豆にまつわるユニークな発想もいろいろ考えられるのではないでしょうか。
そこで全国納豆協同組合連合会は、今年も皆様から納豆にまつわる川柳を募集しました。
幅広い年代の方々から、2,404作品のご応募をいただきました。たくさんのご応募ありがとうございました。
厳選なる審査の結果、次の3点が優秀賞に決まりました。
選出は全国納豆協同組合連合会と筑波大学大学院人文社会科学研究科 文芸・言語専攻 准教授 石塚修先生によって行われました。
今回は応募総数2,404作品というたくさんの応募がありました。どの作品も皆さんの納豆への期待と関心の高さが川柳を通してひしひしと伝わる力作ばかりでなかなか選定に頭を悩ませました。
川柳は世態風俗にちょっとした風刺を込めるという点で、納豆にたとえますと薬味やタレといった部分に工夫が求められる文芸だと思います。「納豆」=「糸」・「ねばり」という連想の川柳が多く見られましたけれども、これではどうしても他の応募作品と似通ってしまい個性が出ません。今回選定した3作品は、いずれもそうした連想を越えている作品として評価しました。ただし、だからといって納豆という語を全く出さないで勝手な連想をめぐらせても何のことか分かりません。たとえばただ「かきまぜる」と言っても、かきまぜるのは納豆に限ったわけではないので、その1句だけで一つの事情や景物が浮かぶように作っていただけたらよろしいかと思います。
1句目はおそらく大人の口癖が移ったおしゃまな子どもさんの姿が目に浮かぴます。ひょっとすると所帯の切り盛りのなかで「お肉が食べたい」という我が子に「健康には納豆なのよ」と言い聞かせたりしているのでしょうか。または毎日の食卓で「健康には納豆」と口癖のように同居のお年寄りが言っているのでしょうか。ほほえましい家族の光景が向こうに見える楽しい句だと思います。
2句目には、まさに日本の食文化の代表選手である納豆がなんとも恋しくてたまらないという気持ちがあふれています。私の知人にもカナダにまで納豆菌を持参して自家製納豆を作っている方がいます。やはり食い気が第一となる単身での海外赴任の苦労がとてもよく描かれていてサラリーマン川柳を彷彿とします。
3句目は、草食系男子といわれる時代にやはりがっつりと食べる男を選んだという句ですね。しかも納豆ご飯をかきこむ、そのワイルドさに惚れたというわけです。健康やたくましいという語を使わずにその雰囲気を出されているのがすばらしいです。