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納豆文学史「納豆と文学、ときどきこぼれ話」

その6 下町のお妾さんも納豆で腹ごしらえ−永井荷風『妾宅』

永井荷風(1879-1959)は、フランス文学者として慶應大学教授もつとめ、文化勲章も受章した近代を代表する作家です。その一方で、江戸文学をこよなく愛し、下町情緒あふれる文章もたくさん残しています。そんな中に、『妾宅』(明治45年)があります。

お妾は無論芸者であった。仲之町(なかのちょう)で一時(いちじ)は鳴(なら)した腕。芸には達者な代り、全くの無筆(むひつ)である。稽古本(けいこぼん)で見馴れた仮名より外には何にも読めない明盲目(あきめくら)である。この社会の人の持っている諸有(あらゆ)る迷信と僻見(へきけん)と虚偽と不健康とを一つ残らず遺伝的に譲り受けている。お召(めし)の縞柄(しまがら)を論ずるには委(くわ)しいけれど、電車に乗って新しい都会を一人歩きする事なぞは今だに出来ない。つまり明治の新しい女子教育とは全く無関係な女なのである。稽古唄の文句によって、親の許さぬ色恋は悪い事であると知っていたので、初恋の若旦那とは生木(なまき)を割(さ)く辛(つら)い目を見せられても、ただその当座泣いて暮して、そして自暴酒(やけざけ)を飲む事を覚えた位のもの、別に天も怨(うら)まず人をも怨まず、やがて周囲から強(しい)られるがままに、厭(いや)な男にも我慢して身をまかした。いやな男への屈従からは忽(たちま)ち間夫(まぶ)という秘密の快楽を覚えた。多くの人の玩弄物(もてあそびもの)になると同時に、多くの人を弄んで、浮きつ沈みつ定めなき不徳と淫蕩(いんとう)の生涯の、その果(はて)がこの河添いの妾宅に余生を送る事になったのである。深川(ふかがわ)の湿地に生れて吉原(よしわら)の水に育ったので、顔の色は生れつき浅黒い。一度髪の毛がすっかり抜けた事があるそうだ。酒を飲み過ぎて血を吐いた事があるそうだ。それから身体(からだ)が生れ代ったように丈夫になって、中音(ちゅうおん)の音声(のど)に意気な錆(さび)が出来た。時々頭が痛むといっては顳(こめかみ)へ即功紙(そっこうし)を張っているものの今では滅多に風邪(かぜ)を引くこともない。突然お腹へ差込みが来るなどと大騒ぎをするかと思うと、納豆にお茶漬を三杯もかき込んで平然としている。お参りに出かける外、芝居へも寄席へも一向に行きたがらない。朝寝が好きで、髪を直すに時間を惜しまず、男を相手に卑陋(びろう)な冗談をいって夜ふかしをするのが好きであるが、その割には世帯持がよく、借金のいい訳がなかなか巧い。年は二十五、六、この社会の女にしか見られないその浅黒い顔の色の、妙に滑っこく磨き込まれている様子は、丁度多くの人手にかかって丁寧に拭き込まれた桐の手あぶりの光沢(つや)に等しく、いつも重そうな瞼の下に、夢を見ているようなその眼色(めいろ)には、照りもせず曇りも果てぬ晩春の空のいい知れぬ沈滞の味が宿っている――とでもいいたい位に先生は思っているのである。実際今の世の中に、この珍々先生ほど芸者の好きな人、賤業婦の病的美に対して賞讃の声を惜しまない人は恐らくあるまい。

下町のお妾さんも納豆で腹ごしらえ

この珍々先生は永井荷風その人であろうと推測できます。ここに描かれる仲之町の芸者あがりの妾さんは、なかなかの猛者ぶりです。しかし、その猛者ぶりを筆者は温かなまなざしでみつめています。この「納豆にお茶漬を三杯」の中身は、おそらくは「納豆茶漬け」だと考えられます。ご飯に納豆をよくかき混ぜてのせ、熱々の煎茶をかけたものです。美食家として知られる北大路魯山人もこの食べ方を好んだとされていますが、このように江戸の粋筋では知られた食べ方だったようです。

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