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納豆文学史「納豆と文学、ときどきこぼれ話」

その9 童話でも納豆を通しての教え−菊池寛「納豆合戦」

『文藝春秋』の創刊にたずさわり芥川賞と直木賞の生みの親として知られる菊池寛(1888-1948)は、自身も「恩讐の彼方に」などの作品を送り出した作家として知られています。その作品の一つに、なんとその名もズバリ「納豆合戦」という作品があるのです。

大正時代に大流行した児童雑誌「赤い鳥」(大正8年9月号)に発表された作品ですので、もちろん対象は子どもたちでした。「納豆売り」という仕事が大正時代の子どもたちにどんな目で映っていたのかそれを知るうえでも貴重な作品と言えるかも知れません。



 皆さん、あなた方は、納豆売の声を、聞いたことがありますか。朝寝坊をしないで、早くから眼をさましておられると、朝の六時か七時頃、冬ならば、まだお日様が出ていない薄暗い時分から、「なっと、なっとう!」と、あわれっぽい節を付けて、売りに来る声を聞くでしょう。もっとも、納豆売は、田舎には余りいないようですから、田舎に住んでいる方は、まだお聞きになったことがないかも知れませんが、東京の町々では毎朝納豆売が、一人や二人は、きっとやって来ます。
 私は、どちらかといえば、寝坊ですが、それでも、時々朝まだ暗いうちに、床の中で、眼をさましていると、「なっと、なっとう!」と、いうあわれっぽい女の納豆売の声を、よく聞きます。
 私は、「なっと、なっとう!」という声を聞く度に、私がまだ小学校へ行っていた頃に、納豆売のお婆さんに、いたずらをしたことを思い出すのです。それを、思い出す度に、私は恥しいと思います。悪いことをしたもんだと後悔します。私は、今そのお話をしようと思います。
 私が、まだ十一二の時、私の家は小石川の武島町にありました。そして小石川の伝通院のそばにある、礫川学校へ通っていました。私が、近所のお友達四五人と、礫川学校へ行く道で、毎朝納豆売の盲目のお婆さんに逢いました。もう、六十を越しているお婆さんでした。貧乏なお婆さんと見え、冬もボロボロの袷を重ねて、足袋もはいていないような、可哀そうな姿をしておりました。そして、納豆の苞を、二三十持ちながら、あわれな声で、
「なっと、なっとう!」と、呼びながら売り歩いているのです。杖を突いて、ヨボヨボ歩いている可哀そうな姿を見ると、大抵の家では買ってやるようでありました。
 私達は初めのうちは、このお婆さんと擦れ違っても、誰もお婆さんのことなどはかまいませんでしたが、ある日のことです。私達の仲間で、悪戯大将と言われる豆腐屋の吉公という子が、向うからヨボヨボと歩いて来る、納豆売りのお婆さんの姿を見ると、私達の方を向いて、「おい、俺がお婆さんに、いたずらをするから、見ておいで。」と言うのです。
 私達はよせばよいのにと思いましたが、何しろ、十一二という悪戯盛りですから、一体吉公がどんな悪戯をするのか見ていたいという心持もあって、だまって吉公の後からついて行きました。
 すると吉公はお婆さんの傍へつかつかと進んで行って、
「おい、お婆さん、納豆をおくれ。」と言いました。すると、お婆さんは口をもぐもぐさせながら、「一銭の苞(つと)ですか、二銭の苞ですか。」と言いました。「一銭のだい!」と吉公は叱るように言いました。お婆さんがおずおずと一銭の藁苞を出しかけると、吉公は、「それは嫌だ。そっちの方をおくれ。」と、言いながら、いきなりお婆さんの手の中にある二銭の苞を、引ったくってしまいました。お婆さんは、可哀そうに、眼が見えないものですから、一銭の苞の代りに、二銭の苞を取られたことに、気が付きません。吉公から、一銭受け取ると、「はい、有難うございます」と、言いながら、又ヨボヨボ向うへ行ってしまいました。
 吉公は、お婆さんから取った二銭の苞を、私達に見せびらかしながら、「どうだい、一銭で二銭の苞を、まき上げてやったよ。」と、自分の悪戯を自慢するように言いました。一銭のお金で、二銭の物を取るのは、悪戯というよりも、もっといけない悪いことですが、その頃私達は、まだ何の考もない子供でしたから、そんなに悪いことだとも思わず、吉公がうまく二銭の苞を、取ったことを、何かエライことをでもしたように、感心しました。
「うまくやったね。お婆さん何も知らないで、ハイ有難うございます、と言ったねえ、ハハハハ。」と、私が言いますと、みんなも声を揃えて笑いました。
 が、吉公は、お婆さんから、うまく二銭の納豆をまき上げたといっても、何も学校へ持って行って、喰べるというのではありません。学校へ行くと、吉公は私達に、納豆を一掴みずつ渡しながら、「さあ、これから、戦さごっこをするのだ。この納豆が鉄砲丸だよ。これのぶっつけこをするんだ。」と、言いました。私達は二組に別れて、雪合戦をするように納豆合戦をしました。キャッキャッ言いながら、納豆を敵に投げました。そして面白い戦さごっこをしました。
 あくる朝、又私達は、学校へ行く道で、納豆売のお婆さんに逢いました。すると、吉公は、「おい、誰か一銭持っていないか。」と言いました。私は、昨日の納豆合戦の面白かったことを、思い出しました。私は、早速持っていた一銭を、吉公に渡しました。吉公は、昨日と同じようにして、一銭で二銭の納豆を騙して取りました。その日も、学校で面白い納豆合戦をやりました。

子どもたちの心を育てた納豆



 その翌日です。私達は、又学校へ行く道で、納豆売のお婆さんに逢いました。その日は、吉公ばかりでありません。私もつい面白くなって、一銭で二銭の苞を騙して取りました。すると、外の友達も、「俺にも、一銭のをおくれ。」と、言いながら、みんな二銭の苞を、騙して取りました。お婆さんが、「はい、有難うございます。」と、言っているうちに、お婆さんの手の中の二銭の苞は、見る間に二つ三つになってしまいました。
 そのあくる日も、そのあくる日も、私達はこのお婆さんから、二銭の苞を騙して取りました。人の良いお婆さんも、家へ帰って売上げ高を、勘定して見ると、お金が足りないので、私達に騙されるのに、気がついたのでしょう。そっと、交番のお巡査さんに、言いつけたと見えます。
 お婆さんが、お巡査さんに言ったとは、夢にも知らない私達は、ある朝、お婆さんに出くわすと、いつもの吉公が、「さあ、今日も鉄砲丸を買わなきゃならないぞ。」と、言いながら、お婆さんの傍へ寄ると、「おい、お婆さん、一銭のを貰うぜ。」と、言いながら、何時ものように、二銭の苞を取ろうとしました。すると、丁度その時です。急に、グッグッという靴の音がして、お巡査さんが、急いで馳けつけて来たかと思うと、二銭の苞を握っている吉公の右の手首を、グッと握りしめました。
「おい、お前は、いくらの納豆を買ったのだ。」とお巡査さんが、怖しい声で聞きました。いくら餓鬼大将の吉公だといって、お巡査さんに逢っちゃ堪りません。蒼くなって、ブルブルふるえながら、「一銭のです、一銭のです。」と、泣き声で言いました。すると、お巡査さんは、「太い奴だ。これは二銭の苞じゃないか。この間中から、このお婆さんが、納豆を盗まれる盗まれると、こぼしていたが、お前達が、こんな悪戯をやっていたのか。さあ、交番へ来い。」と、言いながら、吉公を引きずって行こうとしました。吉公は、おいおい泣き出しました。私達も、吉公と同じ悪いことをしているのですから、みんな蒼くなって、ブルブルふるえていました。すると、吉公はお巡査さんに引きずられながら、「私一人じゃありません。みんなもしたのです。私一人じゃありません。」と言ってしまいました。するとお巡査さんは、恐い眼で、私達を睨みながら、「じゃ、みんなの名前を言ってご覧。」と言いました。そう言われると、私達はもう堪らなくなって、「わあッ。」と、一ぺんに泣き出しました。
 すると、傍にじっと立っていた納豆売のお婆さんです。私達が、一緒に泣き出す声を聞くと、急に盲目の眼を、ショボショボさせたかと思うと、お巡査さんの方へ、手さぐりに寄りながら、「もう、旦那さん、勘忍して下さい。ホンのこの坊ちゃん達のいたずらだ。悪気でしたのじゃありません。いい加減に、勘忍してあげておくんなさい。」と、まだ眼を光らしているお巡査さんをなだめました。見ると、お婆さんは、眼に一杯涙を湛えているのです。お巡査さんは、お婆さんの言葉を聞くと、やっと吉公の手を離して、「お婆さんが、そう言うのなら、勘弁してやろう。もう一度、こんなことをすると、承知をしないぞ。」と、言いながら、向うへ行ってしまいました。すると、お婆さんは、やっと安心したように、「さあ、坊ちゃん方、はやく学校へいらっしゃい。今度から、もうこのお婆さんに、悪戯をなさるのではありませんよ。」と言いました。私は、お婆さんの眼の見えない顔を見ていると穴の中へでも、這入りたいような恥しさと、悪いことをしたという後悔とで、心の中が一杯になりました。
 このことがあってから、私達がぷっつりと、この悪戯を止めたのは、申す迄もありません。その上、餓鬼大将の吉公さえ、前よりはよほどおとなしくなったように見えました。私は、納豆売のお婆さんに、恩返しのため何かしてやらねばならないと思いました。それでその日学校から、家へ帰ると、「家では、納豆を少しも買わないの。」と、おっかさんに、ききました。
「お前は、納豆を喰べたいのかい。」と、おっかさんがきき返しました。
「喰べたくはないんだけれど、可哀そうな納豆売のお婆さんがいるから。」と言いました。
「お前が、そういう心掛けで買うのなら、時々は買ってもいい。お父様は、お好きな方なのだから。」と、おっかさんは言いました。それから、毎朝、お婆さんの声が聞えると、お金を貰って納豆を買いました。そして、そのお婆さんが、来なくなる時まで、私は大抵毎朝、お婆さんから納豆を買いました。

子どもたちの心を育てた納豆

いかがでしたか。納豆売りのおばあさんの心の優しさに打たれた悪ガキたちが、改心しておばあさんに恩返しをしようとしている話です。
子どもはいつの時代もときに残酷なことを平気でやります。それを大人たちがどう導くかがじつはとても大切なことなのかもしれません。そんなことを考えさせられる童話でした。

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